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実相寺昭雄の日記から

実相寺昭雄が若い頃から書いた日記がいくつか残っている。

昭和40年(1965)1月から41年5月まで断続的に書いた日記の一部は、

2023年5月に当研究会が発行した「実相寺昭雄見聞録」第二集に掲載した。

このサイトでは同じ日記から、映画を中心とした作品評にあたる文章を

選んで紹介しようと思う。

なお、故人は甚だ達筆の上にかなりの速さでペンを走らせているらしく、

判読の難しい個所もあることをお断りしておく。

​昭和40年(1965)

2月24日 ジョージ・キューカー「マイ・フェア・レディ」

 

バーナード・ショー原作 レックス・ハリスン オードリイ・ヘップバーン主演

70ミリ。3時間(途中休憩、約10分)ミュージカル。肝心なところで歌になるという手合。まずまず見ていられる。

 言語の差が階級の差そのものであるというひとつの布石。ここでまず表されるのは任意の実験対象としてこのドラマのなかで抽出された花売娘イライザ・ドゥリトルが、訓練のつみ重ねで違った言語を身につけるといういうこと。言語学者(調教師)にとって、英語とは上流社会のアカデミズムであるということ。しかし、それが達成された暁に、その英語の国民的風土と離れた、英語言語自体の抽象的完璧さが、他の言語学者によって、余りの正確さ故に英国人のものではないと判断されること。

 言語による階級離脱によって、決してイライザは上流社会の仲間入りをするのでもなく、相変わらず召使い的愛情のなかで生きるしかないこと。いわばショーにとって、最高に提出された言語の差が階級の差であるということは、二重に裏打ちされておわるということが肝心なのだろう。即ち、言語の他の言語形態への移行は、階級の差を解消しない、というその仮定に対する否定と、従って階級の属性として言語の差も矢張り階級の差になっているという現実の提示。

 こう見てくると、私には花売娘イライザのこの物語は、いかにシンデレラのお伽話と異なっているかかがよくわかるのだ。

 第一、そのかたちの成就のあとで、イライザは気持ちに惹かれて古巣へ戻っても、自己のかたちによってあざむかれる虚体に変わっており、父親すらもが気持ちはどうあろうと、かたちで別の人生を生きていることを知り、実験材料となる賭へ主体的に身を投じてしまった以上、隷属しか残っていないことを、実によくこのドラマは語っていると思うのだ。従って、これはイライザ・ドゥリトルの悲劇とも呼ぶべき代物で、汚い花売娘が貴婦人になったのではなく、花売娘は花売娘であるという残酷な視点に立っている。私はジョージ・キューカーも只者ではないと思った。とりわけ、一夜にして貴婦人へといったことではなく、そこには訓練という過程も、きちんとはさまっており、そこの描写など、微笑ましいというより「O嬢の物語」を想わせる、ある種のサディズムに満ちており、ここの滑稽さを描くことは、この全体の、花売娘→貴婦人への転換を二人の男の賭といった遊びに軸を置いていることによって、更に残酷なイライザへの挽歌となった。

 ブレヒトの「パンチュラ先生と下僕マッテイ」の場合のマッテイの行く手には、太陽が輝かしく昇ることはあっても、イライザは闇のなかへ闇のなかへと落ち込んでいってしまうだろう。このことを甘く美しい旋律にのせたミュージカルの作者も、只の腕の持主ではないし、私はテレビジョンなどでミュージカルを云々する場合にも、日本の永六輔などが最低このこのぐらいの基本的な構造をしっかり掴まえておいて欲しいと思った。

 「マイ・フェア・レディ」という題名と、あのきらびやかで賑々しい衣裳につつまれたイメエジをはるかに超えて胸をうって来たものが論理であったことは記しておくに足ることだ。

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2月26日(金)晴 寒い

 

篠田正浩「美しさと哀しみと」

 表現ということを考えさせてくれた作品であった。人間のかたちと気持ちのステロタイプを完全に打ち破った仕上がりであり、この抽象的な世界を、ありうべきステロタイプで描かずに、それをかなり丁寧にひとつひとつ破ってゆくことで、少くとも美しさとは何か? ということの作品上の帰結へと総合しえたのは一つの功績である。

 即ち、カメラはかなり意識的に美しく堂々とした構図と動きと色彩で人間を追い、その人間がもつ属性を、そのフレームの美しさの中心に埋没させることなく、フレームの破綻者として摘出した手法。ここのところを篠田正浩は全編執拗に追い続けているのだ。神秘的な女、妖精的な、エクセントリックな女、そんな女にまつわるこの世ならぬ恐ろしさと、因果的な糸を、加賀まりこという凡そ正反対の、美しくなく、眼玉の大きい、目の下のしわとマスカラの黒く汚れた女として描き出し、彼女の師匠で、作家大木の嘗ての愛人である京都在住の女流作家の内部に沈むどす黒い沼を、八千草薫という、凡そ、非芸術的な感性の輝きのない、凡庸で、オデコの広い女のかたちに託し、その二人の間の同性愛を、何のヴェールに包むことなく、そのみじめでうすら寒い女たちの儘で投げ出しているのだ。しかも、カメラだけが、かなりひとつのくずれぬスタイルで、その美しい人間以外の背景と環境を対象的(*ママ)に、淡々と描いてゆく。このことは「ただいま十一人」というTVのホームドラマで、一家の構成メンバーである、山村聡、渡辺美佐子、山本圭という三人をキャスティングして、その二人と対比して、ここでも、彼らの俳優、かたちとしてのタイプを一切抜きにした地点で描いている点。この作品はわかるかわからないか、ということを超えて、美しいか美しくないか、といった大作品に昇華しえたのだ。だから、表現としてのリアリズムがここにはあり、典形的(*ママ)な環境で、全く非典形的な人間を捉えることによって現実的なかたちの膨大さと、実感への回復を計ろうとした作品だと言って良いだろう。従って、美しい環境でかたちとして美しくない人間を際立たせることによって、美しさとは何かということへの反証と、逆にまた美しさというものが知識をこえた人間の数なりの意識でもあることの具体性とを描いたことによって、表現として美しい作品となることが出来たのだった。

 だから、心理的必然とか、その因果の限界ということも、すべて捨て去られており、珍しくも私たちは私たちによる映画をここで見ることが出来たのである。その表現に到達した作家の総合は、愚かしいことはあくまでも愚かしいということなのではないだろうか。これらのアンバランスの上に立ったこのこの映画で、それでは矢張り私たちがもの足らなく思うのは例えば、フレームのこととしてではない(いや、それも大いに大いに関係はあるのだが)苔の超クローズアップ、人間の膚のアップと、微細に立ち入った物質への緊張関係の中で、意識に跳ねっ返る美というものの、作家的イメエジの提出の欠如であった。篠田正浩は、遥かに前作をしのいでうまくなっており、(技術的な意味で)そのコンティニュイティの流れ方など、批評の対象外のものとなってはいるのだが、こういった論理構造(前述のかたちについての実験)の、作家内部での必然に、やや欠ける恨みはおおい難いのだ。だから、卑俗なイミで、これは全くすべてがミスキャストであり、美しくない映画だともとれるのであって、私の言ったことは逆説ないし、ソフィスト的言辞ともなりうる日常的な基盤と、そのカメラワークのフレームとしてのある種のスタイルの流麗さが持っていることを、ここでつけ加えて記しておかねばなるまい。題名の〝哀しみと〟という部分は気持ちを表した言葉である。かたちと気持ちについてのあるサンプル。今年の日本映画のまず最初に、私が出会った地点はこんなところであった。

7月1日 和田勉「風雪 女優須磨子」NHK

 

 今日、和田勉の「風雪 女優須磨子」を観る。電気紙芝居としての正当性。アップと語りと、リズムと、報告と、変化。久し振りに、TVドラマを観たという思いがする。 

 

8月24日(火)新宿松竹 桜井秀雄(カラー)「馬鹿っちょ出船」

 

 竹脇無我 松山英太郎 勝呂誉 都はるみ

 上田吉二郎 田武謙三 香山美子 桑野みゆき

 

 瀬戸内海をバックにしているのが良い。(実際のロケは千葉あたりで済ました個所があるかもしれないが)割合とていねいに作っているが、ストオリイの労働に対する楽天性と、転職についての、また休暇と場所の転移の御都合には、こっちも聊かテレ臭クナル。人物の行動の軸は街のボスの伜の結婚にすべてがあるのは、もう少しどうにかならぬものか。歌謡映画としては画面が開放的で何とか見てはいられるが、知能指数の低い映画である。

 長谷和夫の「俺たちの恋」は流石に、20分位で耐えられなかった。田村正和を見ているだけで、時間が無駄と皮膚が私を呼ぶ。

9月2日(日) 快晴 秋

 

 大島渚久々の(三年振り)長編映画「悦楽」は、先ず、彼がこれを撮ることで、彼と彼に続くものとの為に、どうしても興行的に成功する必要があった。勿論、彼以外の者の門口を閉ざす方向で、壮烈な怒りがぶちまけられても、それは構わないのだが。ただ、不燃焼なテーマと芸術上の表現で止って、みじめな失敗をしてはならなかった。従って、今年の映画界をおおった、時流を利用すること、つまりセックスへの興味にうったえた、セールスポイントのある映画を作ることの判断は健全なものであった。そしてにも拘らず、、大島渚はうらみつらみをそれに篭める必要も又あった。表現の閉塞状況の前で。大島渚に対する期待と神話を除いて、私はこの映画を語る前にこの程度のイメエジを「悦楽」に仮構していた。

 山田風太郎の原作「棺の中の悦楽」→「悦楽」 タイトルの持つ意味は私たちの現在を象徴的に捉えている。シナリオを読んで状況説明のドラマだという気がした。そして、それはこの映画の表現でもそうなっていた。ひどくストレエトな私たちのある様を説明してくれたのである。私は表面、これがセックスの解放にメスを入れた映画であるという惹句を理解しつつも、それが全くセックスについての映画でなかったことに特徴があると思うのだ。だから、良いというのではない。演出者の生理として、大島渚はセックスに興味を抱いてよい、とすら私は思った。つまり、彼はセックスを生理的肉体的に掴むというよりも(今村昌平のように)、またアレゴリイとして描くよりも(勅使河原君のように)セールスポイントはひとつの発想のとっかかりとして、新しく「日本の夜と霧」を描きたかったのであろう。この決心は私には彼の作品の中では最も「日本の夜と霧」に近いものだとおもわれてならない。

 先ず、青春の不在は表現者が存在する青春を描けないことではなくして表現者自体も、そのなかにとっぷりと身を浸して青春の不在の中に棲むということ。つまり、愛というものは何か?という問よりも愛は存在していない、この日本の現在ではということにつき、大島渚は最初から視点を移動させている。これは「叫び」などで常々闘いの青春を原風景として捉えて来た作業から、むしろ彼が今日では自己の内部に巣食う虫をもう一度照射し返そうとした作業と見ていい。主人公、脇坂篤のオデッセイは、中村賀津男という俳優の肉体的資質の故か、私には、世代、年令、不詳のように見える。しかし、実はそこに、大島渚の眼目があったのではないか。私たち自身、時代を果たして本当に背負っているのだろうか。否。彼の世代的な軸の欠落は私たちの軸の不在に通じている。「叫び」で捉えられた一種の抽象性と異り、これはもっと私たちの深層部分に訴えるやり方で、しかも私たちのあり様を説明している。従って脇坂には愛のイメエジが最初から脱落している。家庭教師をしていた娘匠子が彼の永遠のマドンナであるが、それは、幻影にしかすぎなかった。階級社会の中で彼は愛が階級に起因する身体性を持つということもしらずに、そのブルジョアの家庭の駒となっていたのだ。匠子を犯した男を父の依頼で殺したのは、実は彼の怒りではなかっただろう。三千万円を一年の期限つきで使うようになっても、彼の前にあるすべての愛と性はヒモつきであった。

・キャバレーの女眸には、やくざというヒモがつき、

・サロンの女給志津子には、家庭というヒモがつき、

・女医圭子には良識というヒモがつき、

・オシのパンスケ、マリには、沈黙というヒモがつき、

 いってみれば、日本そのものの中でセックスは金の価値と同質であり、最後匠子に裏切られるのは、脇坂が自分の幻影に裏切られることに他ならず、この自分の深く陥入った深層自体が矢張り自らをなしくずしにする点に、この作品の痛烈な意味があるのではないだろうか。いわば、脇坂篤は私たちなのだ。何処にも悦楽などありはしないのである。この映画のテーマが従って浮び上がってくる。大島渚のうらみつらみとして。自ら闘いえぬものは闘いをうることが出来ない。一九五六年の「深海魚群」のあの言葉「深海に生きる魚族のように、自らも生きなければ、どこにも光はない」と。彼はセックスのナチュラリズムにも我慢しえなかったし、悦楽は、執念のように階級の全的超克のためにしかないことを表現したのである。

 

ロバート・ワイズの「サウンド・オブ・ミュージック」[編者注]観たのは9月1日

 

 オーストリアの民族主義者トラップ大佐一家のはなしのミュージカル。

 構成は二つに分れる。一つは、お転婆な修道女マリアが、神に仕えるよりも、外でその使命を果すに適しているとされ、トラップ家に家庭教師として入り、規律と家風に染ったトラップ家の子供たちを音楽で解放し、トラップ大佐と愛し合うということ。二つ目は、ナチの勃興による、独墺合併に反対する民族主義者の大佐一家が、故郷を捨てて、中立国へ逃れるということ。テーマは民族自決ということだろうか。私にはこの70ミリのスペクタクルが(映画と呼ぶ必要もあるまい)、絵葉書的記念パンフレットのような気がしてならないのだ。ただ、サウンド・オブ・ミュージック自体の歌は、解放のテーマとしての力よりも、自立との素朴な交歓といった趣に近く、ヴェトナムで闘う民族自決否定の国アメリカの作品としては、抽象的な自由陣営の砦を守るに、精一杯という気がしないでもない。つまり、トラップ一家に入り込んだマリアは、南ヴェトナムの傀儡政権として、米政府の後押しで成り立っているといった按配である。トラップ大佐がナチスの旗を破り、エーデルワイスというオーストリア民謡を歌い、民族主義を標榜するのも、私には名辞へのこだわりという気がするのだ。だから彼ら一家は風化した家族*を伴って中立国へと逃げてゆくことになる。民族主義者がすべて抵抗者ではないことを、ワイズは証明してみせる訳である。自立と光と地面*に解放された、ミュージカル映画をみたかったのだが、それらはすべて裏切られる羽目になった。ワイズはドラマとして作ったという自負があるそうだが、その辺に彼の限界がありはしないか。

(*難読個所。誤読かもしれません)​

Roman Polanski「反撥(原題:Repulsion)《1965》

 

 どんなジャンルに入れるべきものか。精神病理学的、怪奇的、スリラァ的、哲学的……処女の欲望と、潔癖感。抱かれたいという意識と恐怖。自らの、解き放たれない性の願望の淀み。自ら、自らを袋小路へと追い込んでゆくプロセス。ポランスキーは1933年生れの32才である。「水の中のナイフ」につぐ長編。イギリス映画。彼は亡命者ではなく、逃避者でもなく、根っからの普遍的人間であろう。しかも、かなりモノマニャックな。彼自身がある全体、ある組織、ある統一、よりも、個人の血、服、息、そして全く個人の言葉を吐きたい欲望がたまっている。その個人の吐く言葉自体が、普遍的であるという、奇妙な矛盾に身を焼いている。青春を感じさせない円熟した表現。いや、それは、27才で「市民ケーン」を作ったオーソン・ウェルズの世界に似て、優れた彼の天性なのかもしれない。従って、その自らの完結した世界への類なき自信が、新しさとか古さ、あるいは関係としての社会から隔てて自らを別の場所におく。新しさとか古さに係わり合いのない表現も、またあるのだ。視覚的な事物への執拗な着眼。じゃがいもの芽の出具合による、また、うさぎの肉の腐り具合による時間経過の描写。音響のデテイル。日常的なトリヴィアリズムと、象徴的表現主義の支配。ポランスキーは、精神の安定を罵る。私にとってひどく気にかかるのは、その罵り自体に観念的な人間の存在規定が匂うこと。人間とは城へ向かった測量技師、あるいはシジフォス、鎖につながれたプロメテウス、あるいはグレゴール・ザムザ、K。うるわしき日をも砂丘に埋もれた老女、ゴドーを待つ二人。哺乳類。映像表現を、とりわけ自らの表現を、その寓話で止揚してはなるまい。存在の矛盾を寓話で統一し、完結させること。私はそれを、普遍的な資質と呼びたいのだ。幾人かそういう表現者がいる。私は彼らと同じ道を辿りはすまい。ただ、ポランスキーがかなり報告的(シュールというよりも絵解き的)に、精神病理学的、あるいは臨床的態度で閉ざされた性を、人間の内的な重層に捉えたことは認められて良い。強い願望に潜む強い自己抑圧。肯定と同居した否定。弁証法的な描写による映画ではあるが、これは逆にポランスキーがポーランドの社会主義社会と、自ら関係を持ち続けねばならないという命題の逆の目かも知れない。彼はインターナショナルでありたいと願っているのだろう。これはそう見てくると「水の中のナイフ」での、世代の重圧を捉えたポランスキーの、自己内部への着目といえるだろう。

九月六日(月)

 

 一日中在宅。在宅の理由。給料にかかわる重大な要件がないため。雨が降ったための二つ。今日も殆ど何もしない日。人生の充実しない時間は勉強の欠落ということ。ものを読まず、見ず。僅かに渋沢竜彦の「犬狼都市」を読んだだけ。

 

 須川栄三「けものみち」

 松本清張原作 白坂与志夫脚本

 

 池内淳子、伊藤雄之助、池部良、小林桂樹、黒部進、森塚敏、矢野亘、千田是也、小松方正、田武謙三、土屋嘉男、有馬昌彦、千石規子、小沢栄太郎、大塚道子、菅井きん清水元

 

 須川栄三は忘年会の后、ビールを呑み乍ら〝庶民の怨恨〟を出したかったのだと語った。私が、この作品の中で人間を感じたのは森塚敏の民子の脳軟化症の夫と、大塚道子の洋子であるが、ある政治のからくりでほんろうされる一人の女にそれを託したのだと思われる。しかし、その点ではこの映画は全くといっていい程に不燃焼であった。それはまず第一に、原作脚本の故にあると思われる。しかし、どうにもならない原作というのも、とりあげるという見地からゆけば、映画化側の責任であり、私は脚本の構成自体に、一番、テーマが不在していると感じた。「政治のからくり」という図式は、一種の抽象概念であって、その実体は人間にある。そして状況と。歴史と。この点で白坂の脚本は彼の限界を明瞭に示しており、人間を描くことを全く忘れてしまっている。つまり、ここでは原作の筋を通すのが精一杯で(それも映写時間上から、かなり大幅にカットされ、よく解らない所もあるのだが)、すべて登場人物は将棋の駒と化しているのだ。こういう場合、その駒に実在感あらしめるのは、役者のアクのようなものであり、例えば伊藤雄之助がアクの強さで、ある役柄のかたちを出すのだが、それはリアリティとアクチュアリティに欠ける、筋の上での演技であって、むしろ戯画に近い。私は〝庶民のうらみつらみ〟をぶつける映画としては作者たちの側に、その対象としての図式が、はっきりと決められすぎていたのが〓〓的だと思う。この種の無辜の市民のまきこまれ型のドラマは今迄幾つものサンプルを見ているが、その限界は、作劇の上で解明された目標に庶民を矢張り駒として図式の上でコントロールするだけだからであろう。推理ドラマ、内幕ドラマとしても余り出来が良くなかったのは、前者の場合より筋の脈絡が匠に伝わらないこと、後者の場合なら、報告的要素に全く欠けていることである。要は作者の視点の不確かな所に問題があるのではないだろうか。庶民のうらみつらみをどこから凝結させるか、その庶民の眼をどこに置くのかが、先ず問われてよさそうである。ということは、早い話、時間の長短にかかわらず、構成を根本から変えて欲しかったという気がする。実際私が一番わからないのは、この映画は何を言いたかった、ということであり、〝けものみち〟というのはどういう〝みち〟なのか、ということなのである。

【作品評ではないが、誕生日に書いた日記を2編紹介します。】

1965年3月29日(月)晴

 

 満28才の誕生日。何ら、その実感はない。江利チエミ大いに歌うのVTRどりでつぶれ、そして終了后、朝鮮料理をつつき乍ら、並木たちとの雑談に戯れ、麻雀を一荘し、その后、高橋と並木と、羽田にドライブして終わった日。この一日は、僕自身の欠落の出発、28才の出発にとって、ひどく象徴的だ。夜中、羽田空港の灯を見乍ら、僕はこのような安逸の時に埋もれたいと願い、幻影の中で、一生を終りたいとも希みつつ、眼を閉じた。ああ、僕の内なる虚空よ。そのすべては指の末端に迄も押し拡がり、血管に息を洩らさせる虚空よ。夜空の塵のなかに吸い込まれるが良い。僕は詩人として、限りない生への蘇生をしたい、と自らを鞭打った。夜。ジェット機が白く光っていた、誕生日。

 

1966年3月29日(火)

 

 私の29才がはじまる。私の28才は昨日、銀座スタジオでの、CMフィルム製作で、幕が閉じた。愈々20代最后の一年の夜明けを迎える。それが又、私自身の青春の夜明けにもつながるように、努力をしなければ。天才とは努力であるという奇妙な掛け声に身をゆだねる。

 しかし、私は全く歩くことを止めてしまった。象徴的にも、自動車の免許証を取って以来。このことの発見が私からたゆみのない非合理への渇望をも、消し飛ばさせたことを教えてくれる。私は安直に特性のない男であることを望みすぎたのだ。歩くことの苦痛は書くことの苦痛にもつながっている。私自身を書かない私は、最早、私であるとは言いえないのだ。テレビジョン、企業へ身を寄せてからの六年間は、私自身の歴史の停滞でもある。変化を止めてしまったテレビドラマのように、私自身の現在はパターンにしか過ぎない。一片のフリップだ。29才、ということがうずく。時間が透明だから。文字すら、私の文字ではないみたいだ。全く一人ぼっちの、誕生日。眠れない孤独のいやらしさにはじまった29才は、どんな時間となるのだろうか。記述の時は、確かに私自身のものとなるだろうか。

 やらなくてはならないことの数は多い。

 ◦シナリオへ20枚(400字)の論文。

 ◦ウルトラQの原稿を2つ。

 ◦Orson Wells(Ed de Seghers)の翻訳。

 しかし、又、それは言葉でも文字でもなく行為そのものなのだ。飽く迄も。自動車の運転は行為ではない。このことは明記しなくてはならない。いま、免許証を破り捨てたい気持ちだ。ものを書くために。

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